2012年09月19日

トヨタ『マークX』がマイナーチェンジ

写真拡大トヨタ?マークX《撮影 内田俊一》 写真一覧(6件)トヨタ『マークX』がマイナーチェンジした。その目的のひとつに、ボディ剛性を上げることによる、乗り心地や操縦安定性の向上があった。

「結局ショックや音に関しては、ボディが弱いことが一番嫌いなものなので、足をうまく使うことと、ボディ剛性を上げて強くしました」とはトヨタ自動車第1車両実験部第1操安・制動実験室主幹の本多一弘さんの弁。ただし、ボディ剛性といってもがちがちに固めればいいわけではないともいう。

「F1カーのようにモノコックのフレームをカチッと決めて、全く動かなくしてしまうのが本当に良いのかというと、それは走りの面では良いかもしれないのですが、全体的な上質な乗り心地や、質感を上げようとするとやはり、いなしも必要となるのです」と述べ、全体ではなく、主に、FRであることからリア周りと、操縦性向上のため、ステアリング周りの剛性向上を図ったという。

また、トヨタ自動車製品企画本部ZSチーフエンジニアの友原孝之さんは、「初代マークXの開発の際、『マークII』はちょっとふわふわし、柔らかいがしっかり決まらなくて、乗り心地が良いとはいいにくかったのです。そこで、ユーザー層も変えたいということもあり、かなりスポーティ路線に振りました」。しかし、「ちょっと振りすぎたところがありましたので、2代目マークXでは、そこのところはぜひ直したい。また、操舵フィーリングに関しても直したいと考えました」。その結果、「(2代目は)かなりのところまで出来ましたが、その時に持っている我々のメニューの中に不足していたものがあったので、一生懸命に今回やりました。初志貫徹というか、最初に狙ったところをぜひマイナーチェンジで実現させたかったのです」と今回の思いを語った。
《レスポンス 内田俊一》

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伊勢丹とルミネで「ルミタン」!? “仰天タッグ”の狙い
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【トヨタ マークX マイナーチェンジ】ボディ剛性向上でもがちがちにはしない

写真拡大歌手PSY(サイ)が「江南スタイル」で「F1コリアグランプリ2012」に参加する。

F1の組織委員会とPSYは、大会の決勝戦が行われる10日14日午後6時、全南(チョンナム)霊岩(ヨンアム)の国際自動車競走場の常設ブロックコンサート場で、F1の観覧客を対象にした「PSYF1特別コンサート」を開催することを決定した。

メイングランドのスタンド席(1万6000席)のチケット購買者は、自分の席でPSYの公演を観ることができる。ほかのチケットの購買者は立席または大型スクリーンを通してコンサートを楽しめる。

4日、F1コリアグランプリの広報大使として委嘱されたPSYは、1ヶ月後に迫ってきた大会の興行のために特別コンサートを企画した。「江南スタイル」で世界的スターになったPSYは、先月に蚕室(チャムシル)で開かれたコンサートもチケットが完売となった。

また、10月12日、13日には同コンサート場でK-POP韓流コンサートも開催される。F1コリアグランプリのチケットはオークションチケット、Gmarketチケットで購入できる。すべてのトピックスをみる - livedoor トップページ
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PSYの成功の理由?他はどうでもいい“狂わせて”くれるから!PSY「江南スタイル」もっとも好きな動画世界1位にPSY「江南スタイル」世界を強打した、決定的な要因

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長年に渡り受け継がれてきた『城ケ島野菜』、島の特産に/三浦
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F1の安全性向上に捧げた生涯 ワトキンス博士逝く

 偉大な魂がこの世を去った。生涯をF1の、ひいてはモータースポーツの安全性向上にささげ、多くのドライバーたちから尊敬を受けたグランプリドクター、シド・ワトキンス博士が現地時間12日夜、英・ロンドンの病院で死去した。84歳の誕生日から6日後のことだった。F1界は深い悲しみに包まれ、多くの関係者が哀悼の意を示した。(只木信昭)
 ■真の偉人
 「きょう、モータースポーツ界は真の偉人を失った。彼はドライバーではかった。彼はエンジニアではなかった。彼はデザイナーではなかった。彼は医師であり、長年にわたって、F1を今日のように安全にするために誰よりも功績を残したといって間違いない。多くのドライバーや元ドライバーは彼の慎重かつ熟練の処置で命を救われた。また安全性は、今日のドライバーたちがあまり気にしないでいられるほど高いレベルへ、大きな進歩を遂げることができた」
 マクラーレン・チーム元代表のロン・デニス氏が、ワトキンス博士の訃報を受けて表した弔意の言葉だ。この言葉が、博士の功績を余すところなく表しているといえるだろう。
 博士は、普段は笑顔を忘れない温かい人柄である一方、こと安全問題に関しては決して譲らない“頑固者”であり、ドライバーやチーム関係者からは「プロフ(ハカセ)」と呼ばれ、慕われていた。
 元フェラーリ・チーム代表であるジャン・トッド国際自動車連盟(FIA)会長は「彼が、このスポーツに残した安全面での遺産に、われわれは常に感謝している」とコメントした。
 ■安全への戦い
 エリック・シドニー・ワトキンス、通称“シド”は1928年9月6日、英リバプールに生まれた。リバプール大医学部を卒業後は英陸軍の軍医としてアフリカに派遣され、帰国後は脳神経外科医として腕を磨いた。
 子供のころから車に興味を持っていた博士は、そのころからシルバーストーンやブランズハッチでレースの際の医師を務めるようになったという。
 62年には米ニューヨーク州のシラキュース大に勤務。近くのワトキンスグレン・サーキットでのレースでも医師を務め、当時、同サーキットで行われていたF1米国GPにも関与したという。帰国後はローヤル・オートモービル・クラブの医療委員となり、レースへの関与を強めていった。
 F1に本格的に関与するようになったのは78年。現在、F1運営会社(FIA)会長で“最高権力者”であるバーニー・エクレストン氏に誘われてからだ。当時、F1製造者協会(FOCA)会長で、すでに運営面の実力者だったエクレストン氏は博士に、当時はまだ存在しなかった常勤のグランプリドクターとなるよう要請。同年6月の第8戦・スウェーデンGPから、その任に就いた。
 そのころ、F1では毎年のように死亡事故が起きていた。ドライバーに限れば直近の5年で6人が死亡。77年の日本GP(富士)では、ジル・ビルヌーブ(カナダ)のマシンがコースから飛び出し、立ち入り禁止区域にいた警備員と観客の2人が死亡する事故も起きている。
 博士の着任から3カ月後に、またしても人命を失う事故が起きた。第14戦・イタリアGP。スタート直後の多重クラッシュで両足を複雑骨折したロニー・ピーターソン(スウェーデン)が収容先の病院で翌日朝に亡くなったのだ。この事故の際、博士は歯がゆい思いを経験した。
 クラッシュ発生直後、マシンから火が上がり、現場周辺は擱座した多くのマシンと炎、黒煙で、まるで戦場のようだった。警察は非常線を張って出入りを制限したが、どういうわけか救急車の到着が遅れに遅れ、専門誌の当時の記事によると事故現場に到着したのは発生から18分も経過した時点だったという。
 博士の著書『F1一瞬の死 F1専属医が見た生と死の軌跡』(邦題)によると、事故直後に現場に駆けつけようとした博士は、警察官に止められたという。コース上で直接作業する役員として登録されていなかったためだ。博士によると、当時はF1でも医療は現地任せで、“メディカルセンター”がテントという例もあったという。イタリアGPでも、ピーターソンが運ばれた救急医療センターにカメラマンが押し入り、博士の股間から撮影しようとして博士に蹴り出されたともいう。
 この事態を受けて博士はエクレストン氏に医療体制の充実を求め、麻酔医の常駐やメディカルカー、メディカルヘリの常備を要求した。この要求は次の米国東GPで、早速実現された。そして博士は毎GP、決勝スタート時にメディカルカーに乗車し、事故に即応できるようにマシンの後ろを1周走行するようになった。
 それが博士の、医療体制の充実、そしてコースやドライバー装備の安全性向上への戦いのスタートだった。
 ■F1界の赤ひげ
 その後も博士はエクレストン氏と協議を重ね、基準を満たしたメディカルセンターや、大きな病院に患者を運ぶためメディカルセンターに隣接したヘリパッドを設置することをF1開催サーキットの標準とするなど、数々の改善を進めていった。これはモータースポーツにおける一般的な安全基準となって、F1以外のレースでも採用されるようになっていく。博士の努力で世界中のサーキットが安全になっていったのだ。
 一方で医師としてジェームス・ハントやマーティン・ドネリー(ともに英国)、ゲルハルト・ベルガー(オーストリア)、ミカ・ハッキネン(フィンランド)ら多くのドライバーの命を直接救った。
 82年カナダGPでスタート直後に起きたクラッシュでは、リカルド・パレッティ(イタリア)を救うことはできなかったが、燃え上がる車両から自らの手に火が燃え移るのもかまわずパレッティを救い出そうとした姿が、ドライバーやチーム関係者から尊敬を勝ち得た。この事故以後、11シーズンにわたり死亡事故が起きなかったこともあって、85年にはドライバーたちから、こう書かれたトロフィーを贈られている。「ハカセへ、あなたのかけがえのないF1への貢献に感謝して。あなたがいてくれてよかった」
 ネルソン・ピケ(ブラジル)とのエピソードも、博士の人柄を表すものだ。
 87年、当時ウィリアムズ・ホンダで自身3度目の王座獲得のチャンスにあったピケは第2戦・サンマリノGPの金曜日にコンクリート壁に激突する大クラッシュを起こした。全身打撲と一時的な記憶喪失状態で、博士はピケに出場停止を言い渡す。だがピケは病院を抜け出し出場を嘆願する。かつて事故で負傷したドライバーが病院から戻ってレースに出ることは少なからずあったのだ。
 『私は「頭を打っており、脳にダメージを受けている可能性がある」と言った。彼がないと言うので、私は「じゃあ、どこで靴を片足、置き忘れてきたのかね」と言った。彼は片足にしか履いていなかったのだ。彼は足が腫れて痛いので脱いだのだと言った。私は「脳のダメージと足のダメージに違いはない。君は運転できる状態ではない」と言った。彼は私の肩をつかんで泣き叫び、出場を願ったが、私はバーニー(エクレストン氏)に言った。「もしネルソンを車に乗せるなら、私はサーキットを去る」』(前掲書より)
 この出場停止にもかかわらず、この年の王座に就いたピケは後に、その年は最後までクラッシュのせいで調子が優れなかったことを認めている。
 ■救えなかった命
 数々の命を救った博士だが、救えなかった命もある。パレッティしかり、その3戦前のベルギーGPで亡くなったビルヌーブもそうだった。
 パレッティの死から11年11カ月後。F1は「最悪の週末」を迎える。94年第3戦・サンマリノGPである。
 金曜の走行でマシンが宙に浮き上がったルーベンス・バリケロ(ブラジル)は、そのまま金網に激突し、意識を失う。すぐに救出されて、比較的軽傷で済んだが、これは悲劇の前奏曲だった。
 翌日の予選でローランド・ラッツェンベルガー(オーストリア)がコンクリート壁に激突、収容先の病院で死亡した。
 さらに、暗い囲気に包まれた中で行われた翌日の決勝。3度の王座に就いたアイルトン・セナ(ブラジル)がタンブレロ・コーナーでコースを離れ、側壁に激突してしまった。博士の懸命の処置にもかかわらず、セナはヘリコプターで搬送された先の病院で死亡が確認された。
 博士とセナは、非常に仲のよい友人だった。そして博士はセナとの最後のやりとりを前掲書で紹介している。
 ラッツェンベルガーの死で極端に気落ちしているセナに、博士はこう、声をかけた。
 「君はもう3度も世界チャンピオンになったし、間違いなく最速のドライバーじゃないか。ほかに何がいるんだね。すべてやめて、釣りにでも行こう」
 セナは答えた。「シド、世の中には自分でコントロールできないこともあるんだ。やめることはできない。続けるしかないんだ」。それが博士が聞いた、最後のセナの言葉だった。
 この事故の後、F1界は安全性向上のため、数々の施策を実施した。博士も医師の立場からHANS(頭頸部保護具)の導入など、さらなる安全性向上に努めた。セナの死以降、18年以上にわたってドライバーが死亡する事故が起きていないのは、博士が進めた安全性向上の成果にほかならない。あの日、クラッシュしたバリケロは、博士の訃報に、こうツウィートしている。「あのとき、僕の命を救ってくれたのはシドだ。素晴らしい人で、一緒にいるといつも楽しかった。あなたがわれわれドライバーにしてくれた、すべてのことに感謝する」
 博士は記している。「今でもよく、アイルトンのことを考えるし、よく彼の夢を見る。私の人生には多くの影響を及ぼした人物がいる。それは父であり、脳医学者として指導してくれた人であり、セナだ。彼らをよく夢に見る。それは嫌なものだ。夢の中で彼らは生きて元気なのに、目覚めるともう一度、彼らが亡くなった事実に直面することになるからだ」
 ■かけがえのない存在
 その功績から数々の表彰を受けた博士は、2005年のシーズンを前にサーキットの現場から退き、08年にはFIAのモータースポーツ安全学会の会長からも引退していた。博士をこの世界に引き入れたエクレストン氏は訃報を受け、こうコメントした。
 「F1の安全におけるシド・ワトキンスが残した功績は計り知れないものだ。彼は生涯をささげて、可能な限りの安全を実現した。われわれは話し合い、ともに汗を流した。彼は私がなんの知識も持たなかった医療に関してすべてをやってくれた」
 「間違いなく、彼はかけがえのない存在だった。彼のような手腕を持った人間には、生涯に一度しか出会えないだろう」

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ザウバーピットに招待&マシンにファンの名前を掲載/
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【WEC 第5戦】トップを明け渡したアウディ、次戦での雪辱誓う

写真拡大WEC 第5戦 アウディ チーム 写真一覧(15件)アウディはディーゼルの『R18ウルトラ』、そしてハイブリッドの『R18 e-tronクワトロ』というシルバーストーンと同じ2台体制で挑んだが、サンパウロでの予選・レースを通じてトヨタ『TS030ハイブリッド』に遅れをとった。

前戦のシルバーストーンでは燃費の良さを活かし、ロングスティントによる戦略でトヨタに対して優位に立ったが、インテルラゴスではTS030ハイブリッドが燃費改善対策を実行に移してきたことで、トヨタとの差を詰め切ることができず、優勝を明け渡すことになった。

アウディのモータスポーツを統括するディーター・ガスは、トヨタがF1参戦していた時代にトヨタ・レーシング木下明美代表と共にチームクルーとして戦った仲間でもある。また、ロッテラーやトレルイエといったドライバーもSUPER GTやフォーミュラ・ニッポンでおなじみのドライバーだ。トヨタに対する賛辞を送りつつも、次戦に向けて雪辱を期すコメントを残しサンパウロを後にした。

ディーター・ガス (アウディ モータースポーツ統括) :
まずはトヨタの初勝利と申し分のないパフォーマンスに対しておめでとうと言いたい。われわれは、彼らを打ち負かすことができなかった。(R18ウルトラで初のレースに挑んだ)ディグラッシはチームにうまく溶け込んだ。彼はこの週末を通してミスもなく、われわれの数多くの要望を成し遂げた。レース終盤に向かうにつれて、彼はファステストラップを更新した。私は彼のパフォーマンスに十分喜んでいるよ。レースでは、タイヤのグリップが物足りなかった。

ラルフ・ユットナー(アウディスポーツチーム・ヨースト テクニカルディレクター)
トヨタは完璧なレースだった。われわれは燃料をたくさん積み(ピット回数を減らす)戦略に出たが、トヨタのアベレージスピードはわれわれよりも速かった。2台ともにレースやピットストップで大きなミスはなく、ルーカス(ディグラッシ)も初のレースながら大いにポジティブな印象を残してくれた。しかし、どんなにミスをしないドライビングであっても勝利できないレースは我々の目標ではない。私たちは改善に手を尽くしたい。

マーセル・ファスラー(R18 e-tronクワトロドライバー):
私たちにとって、重要なことはドライバーズポイントの差をより広げることだったが、それは実行できた。ただ、勝利を手に入れるには十分なペースではなく、簡単なレースではなかった。とはいえ、いまはポジティブな姿勢に切り替わっている。チャンピオンシップの状況は私たちにとっては良い見通しだ。

アンドレ・ロッテラー(R18 e-tronクワトロドライバー):
この結果は私たちが望みうる最高の結果だ。私たちは完璧なレース運びをしたが、単にトヨタが私たち以上に速かったということ。ブラジルでのレースは素晴らしかった。またここで走ることを望んでいる。

ブノワ・トレルイエ (R18 e-tronクワトロドライバー):
非常にタフなレースだった。ファーストスティントは良かったが、セカンドスティントでタイヤの温度が上がりすぎ、タイムをロスしてしまった。しかし、私たちは問題を所在を明確につかんでおり、次のレースではより良い結果を出せるだろう。
《レスポンス 北島友和》

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「13年ぶりの眉毛です」やしろ&金成が亮一座公演コメント
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佐藤琢磨はインディーカーシリーズでも日本人最高位を獲得する実力者!

F1では表彰台に登り、また現在も現役で海外のトップカテゴリーレースに参戦している佐藤琢磨選手、日本のフォーミュラーニッポンにスポット参戦することが大きな話題となっています。

では、現在の佐藤琢磨選手はどんなレース活動をしているのでしょうか。

佐藤琢磨選手は現在、アメリカを中心に行われるインディーカーシリーズに参戦。このカテゴリー、最高速度は380km/hにも達し、有名なインディ500レースなどのオーバルコースではレース中の平均速度が世界一速いというシリーズなのです。

コースレイアウトは前述のオーバルやF1が開催されるような通常のサーキット、そして市街地を封鎖して作るストリートコースなど、バラエティーに富んでいることも特徴。

エンジンは2012年から2.2リッターのターボとなりホンダ、シボレー、ロータスが供給をしています。特徴的なのはその燃料で、ハイパワーを追求するあまりにアルコール燃料を採用するチームが現れ、現在ではエタノールをベースにガソリンを2%混ぜるという混合比までレギュレーションで決めてしまわなくてはならないほど過激化。ここまでやるからこそ380km/hなんて速度でレースが行なわれるのです。

そんなインディーカーシリーズに佐藤琢磨選手は2010年から参戦。参戦当初は最高位9位、ツインリンクもてぎで行われたインディジャパン・ザ・ファイナルでも12位とあまり芳しい成績ではありませんでした。

2011年、佐藤琢磨選手はいよいよ頭角を現してきます。第8戦アイオワではなんと日本人初のポールポジション!
決勝では第11戦ミッドオハイオで4位に入るなど、好成績を残しているのです。

そして今年、2012年は大活躍。チームをKVレーシングからレイホール・レターマン・ラニガン・レーシングに移籍すると、第4戦ブラジルでは最後尾スタートから奇跡の追い上げを見せ、なんと表彰台の3位!
そして7月22日、第12戦エドモントンでは予選で今期最高位の4位からスタート。終盤2位にポジションアップし、なんとトップ争いを見せたのです。最終的には追い抜くことはかないませんでしたが、トップから0.87秒という僅差で2位に入ります。

佐藤琢磨選手はF1と並び、インディーカーシリーズでも日本人として最高位を獲得し、その名を世界に轟かせているのです。
(北森涼介)
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元F1レーサー佐藤琢磨選手がフォーミュラ・ニッポンにスポット参戦。日本での凱旋バトルに注目【動画】ル・マン式スタートで起きた悲喜劇!?F1とラリーカーと市販車が対決!【動画】

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コバライネンの代理人、来週マラネロの会議に出席
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トヨタ、着実な開発実らせ初優勝 WEC

写真拡大念願の初優勝を果たし、真ん中に掲げられた日の丸の前でトロフィーを差し上げる(左から)ラピエール、木下チーム代表、ブルツ=インテルラゴス(トヨタ自動車提供) 「表彰台の真ん中に立つ夢が、参戦3年目にして早くもかなった」。WEC初優勝に、トヨタ・チームの木下美明代表は喜んだ。FIA世界選手権でのトヨタの優勝は1999年9月の世界ラリー選手権(WRC)第11戦以来、13年ぶりだ。
 2002年から最高峰のF1に参戦したトヨタだが、多大な資金をつぎ込みながら1度も優勝できないまま、悪化する経済状況の中、09年に撤退した。その後、市販車開発に資するレース活動として白羽の矢を立てたのが、得意のハイブリッド技術を利用したルマンへの再挑戦だった。
 レース用に開発したハイブリッドシステムを搭載した車両での参戦を表明したのは昨年10月。当初は5月のシリーズ第2戦でのデビューを予定したが、テスト中のクラッシュなどで予定が狂い、6月のルマン24時間で初参戦。このときはクラッシュやトラブルで2台ともリタイアし、ハイブリッド車でのルマン初優勝もアウディに奪われた。
 だが8月の第4戦で2位となり初表彰台に。着実な開発で先行者に追いつき、追い越した。「技術を完成させることができ、誇りに思う」とは村田久武ハイブリッドプロジェクトリーダー。ブルツは「トヨタのドライバーであることを、こんなに誇りに思ったことはない」と胸を張った。

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不屈の魂示したザナルディ 瀕死の重傷から金メダル

 9日に閉幕したロンドン・パラリンピックで、モータースポーツに深く関わりのある人物が素晴らしい活躍を見せ、多くの人々に感動を与えた。その道のりは、人生に苦しむ人々すべてへの、心強い励ましになるものだった。(只木信昭)
 ■思い出の地で金メダル
 9月5日、ロンドンから36キロ南東にあるブランズハッチ・サーキット。45歳のイタリア人が金メダルを首にかけ、感無量の表情で話した。「これは、私の人生でも最も素晴らしい業績の一つだ」。パラリンピックの自転車ロード競技、下肢切断者によるハンドサイクルのタイムトライアル(運動機能障害H4)で優勝したアレッサンドロ・ザナルディ。元F1ドライバーであり、米最高峰CARTチャンプカー・シリーズで2度の王座に輝いた、あのアレックスである。
 「20歳ならメダルを喜ぶが、40歳にもなれば、毎日やってきたことの成果に喜びを感じる。毎日のトレーニングを楽しんできた、魔法のような旅は最高の結末を迎えた。45歳で、こんな経験ができるのは素晴らしいが、同時にこれが冒険の終わりかと思うと寂しさも感じる」
 ザナルディにとってブランズハッチは、F1へ上がる前の1991年、国際F3000時代にコース記録も刻んでいる思い出のサーキットだ。そこでザナルディは、自らが設計、製作した炭素繊維製の競技用自転車で16キロを24分50秒22で走破。2位に実に27秒もの差をつけて圧勝した。ここで表彰台に上がったのは3度目であり、真ん中は初めて。「エンジンがついていたときは、こんなに坂がきついとは感じなかった。とてもきつかったが、美しいコースだ。自分のような“老人”にはピッタリだね」
 ■新大陸で才能開花
 ザナルディがF1に昇格したのは91年シーズン終盤。そこから94年まで25戦に出走(ほかに予選落ち2度)し、最高位は6位入賞1度。性能と信頼性に劣る車に苦しみ、無理をしてクラッシュをして「壊し屋」という、ありがたくないあだ名ももらった。
 才能が花開いたのは米国に戦いの場を移してから。96年、当時、米最高峰のフォーミュラカー・レースだったCARTチャンプカー・シリーズに、トップチームのチップガナシから参戦し、2年目の97年から2年連続で王座を獲得してみせた。
 その翌年、99年にウィリアムズからF1に復帰したが、ちょうどウィリアムズが低迷期にあったこともあって再び苦しみ、最高位は母国・イタリアGPでの7位(当時の入賞は6位まで)。失意のまま、1年で契約を解除した。
 1年のブランクの後、2001年に再びCARTに参戦。この年、悲劇が起こった。
 ■一命を取り留める
 01年9月15日、ドイツ・ラウジッツリンク。大会は初めから暗雲に包まれていた。4日前に起きた米中枢同時テロのショックは世界を覆っていた。主催者は当初、レース中止も検討したが、「われわれは走ることに決めた。それが最善の対応だと考えたんだ。人類はテロよりも強く、悲劇を克服できる偉大な可能性があるということを示すために、前に進むことが大事だとね」。ザナルディは振り返る。
 マシンからスポンサーロゴを外し、代わりに星条旗を張りつけることでレースは行われることに。ところが今度は強い雨に見舞われた。F1など欧州のレースと違い、時速300キロ以上でオーバルコースを走る米オープンホイールカーレースでは、雨が降ったら走れない。それがスタート数時間前に奇跡のように雨が上がり、レースは始まりを迎える。ザナルディは「多くのことが本当に変だった。いつもとは違っていた」という。
 トップ争いを演じ、最後のピット作業も順調に終えたザナルディ。残り16周。ところが加速レーンからコースに合流するところで「コントロールを失った。加速レーンに戻ろうとしたがレーシングラインのど真ん中に止まってしまったんだ。そして後続の1台目は避けてくれたが、2台目はダメだった」
 アレックス・タグリアーニ(カナダ)のマシンは時速320キロでザナルディのマシンの側面に激突した。
 「車は2つに分かれた。一方には私の体があり、私の脚が残っていたもう一方は、“アリベデルチ(サヨナラ)”と、違う方向へ離れていった」。ザナルディは苦笑いしながら語る。
 すぐに救出されたものの、ヘリコプターで140キロ離れたベルリンの病院に運ばれたときには、血液の4分の3が失われていたという。「神父から臨終の儀式も施されたんだ。(そこから一命を取り留めたのは)言葉を探すなら、最も近いのは“奇跡”だろう。もっとも、私は奇跡ではなく(医療スタッフなど)奇跡のような人々からの素晴らしい贈り物だと思っている」とザナルディはいう。
 ■リハビリへの意欲
 回復後のザナルディは、義足でのリハビリに積極的だった。「もともと私は、自分が乗る車のメカニズムに触れるのが好きだったんだ。チームのメカニックたちが触らせてくれることもあれば、触らせてくれないこともあったけどね。だから義足がどんなふうに動くのかとか、自分にどういうふうに合わせるかとかを知りたくて、ベルリンの病院を退院するのが待ち遠しかったんだ」
 やがて自分で義足や車いすを設計し製作するようになった。ある夏、まだ小さかった息子のニコル君から泳ぎに行きたいとせがまれたときは、プールに入れるように、レーシングカーの燃料タンクに使われている素材を利用して義足カバーを作ったという。「子供の無邪気さってやつは、父親が車いすでプールに行くことの気まずさを理解してくれない…」と苦笑いしつつも、「自分自身を守りたかったが、同時に息子を楽しませたかった」。このとき作ったものは、今では義足利用者に一般的に使用されているという。
 ザナルディがレースの世界に戻ったのは、事故からわずか1年半後だった。03年5月11日、あのラウジッツリンクで特別仕様のチャンプカー・マシンに乗り込み、あの日のレースの残り周回を走った。その年から特別仕様のツーリングカーでレースに参加し、翌年からはBMWで欧州ツーリングカー選手権に参戦。翌05年に世界ツーリングカー選手権(WTCC)に昇格したシリーズで09年に引退するまで、計4勝を挙げている。06年にはBMWの誘いで、当時のBMWザウバーによる特別仕様のF1で走行もしている。
 一方、ハンドサイクルでの競技に出場し始めたのは、WTCCで活躍していたころだった。07年、ニューヨークマラソンのハンドサイクル部門に、わずか4週間のトレーニングで出場し4位に入賞。以降、今年のロンドン・パラリンピックでイタリア代表に選ばれることを目指してトレーニングを重ね、10年ローマ・シティーマラソンの同部門で優勝。昨年はニューヨークマラソンを4度目の挑戦で初めて制していた。もちろん競技車両は自分で設計、製作した。この製作においては、モータースポーツ時代の人脈が生かされているという。
 ■金2、銀1を獲得
 念願だったパラリンピックの金メダルを獲得したザナルディは、7日のロードレースで2個目の金メダルを獲得。8日のH4混成リレーでは、イタリアチームの一員として銀メダル獲得に貢献し、「言葉もない」と喜んだ。「個人で勝つのも素晴らしいが、チームとして勝つのはもっといい。チーム全員がすべての力を筋肉から絞り出して得た結果はとてつもないものだ」
 こうしたザナルディの活躍をかつての仲間はたたえる。
 「アレックスがすることに、私はもう驚かないんだ。彼は素晴らしい人間だし、本当のレーサーだ」というのは、CART時代のチームオーナー、チップ・ガナシ氏。「彼がウチのチームの一員として才能を発揮したことを、われわれはみんな知っているが、今回は世界中に不屈の魂を示した。私は過去に、アレックスと多くの勝利をともにする幸運を得たが、今回ほど誇らしく感じたことはない」
 WTCC時代にBMWでチームメートだったアンディ・プリオール(英国)は「彼は素晴らしい同僚で、コースでは手ごわいライバルだった。彼は挑戦を愛し、不可能を可能にしてきたから、パラリンピックを目指していると知ったときから、やると思っていたよ」という。
 ■誰かが何かを感じてくれれば…
 ザナルディはロイター通信のインタビューで、こんな話を告白している。ベトナム戦争で負傷し下半身不随になった主人公をトム・クルーズが演じた映画「7月4日に生まれて」を、かつて鑑賞したときの感想だ。
 当時健常者だったザナルディは、「自分があんな状態になったらどうしよう」と考えたのだという。「答えは『すぐに自殺する』だった。でも(クラッシュの後)8日間の昏睡(こんすい)状態から目覚め、本当にそうなったと気づいたとき、そんな考えは浮かんでこなかった」
 なぜパラリンピックを目指すのか。その質問には、こう答えている。
 欧州経済危機で苦境にある母国で、多くのビジネスマンが自殺していることにふれ、「国がこういう厳しい状況に直面している中で、私の活動で誰かが何かを感じてくれれば、私は喜ぶだけでなく、感動するだろう。私の身に何が起きたかを知ることで、その人が日常生活で何かいいことを見つけ、あるいは何かを人生に付け加える機会になってくれれば…」。
 ■4年後を目指す?
 大会前にザナルディは、45歳という年齢から、これが最初で最後のパラリンピックだと考えていた。「パラリンピックの代表に選ばれたということは、生涯、友人や孫に語って聞かせることになるだろうね。孫ができればの話だけど。『いいかい、じいちゃんはロンドンへ行って、あんなことやこんなことをやったんだ』なんて、いつか話したいもんだ」。そんなことも口にしていた。
 実際、パラリンピックで戦ったライバルたちのほとんどは、彼よりはるかに若かった。だがタイムトライアルで2位になったノベルト・モサンドル(ドイツ)はザナルディより6歳上。この事実は、ザナルディ自身に何かを感じさせたのかもしれない。
 来年、世界最大のレース「インディ500」への出場も取り沙汰されている金メダリストは、こう話す。
 「息子を学校に送り迎えするとか、そういう日常生活に戻るのは素晴らしいことだろうね。でももし、もう一度花火に火をつける機会があるならひいたりはしない。チャンスを逃すのはもったいない」。ガナシ氏が話すとおり、今も変わらず「本当のレーサー」であるようだ。
 次回のパラリンピックは16年、リオデジャネイロである。
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チンホワ「僕にくれたチャンスに心から感謝」
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【パリモーターショー12】英マクラーレン、新型車を予告…F1後継スーパーカーか

写真拡大マクラーレンの謎の新型車のティーザーイメージ英国のマクラーレンオートモーティブが、フランスで9月27日に開幕するパリモーターショー12でワールドプレミアを予定している新型車。同車の2枚目のディーザーイメージが公開された。

これは9月13日、マクラーレンオートモーティブが公式サイトで公開したもの。9月5日に続く2度目のティーザーイメージでは、この新型車のシルエットが、おぼろげながらも確認できる。

すでに、スーパーカーの『MP4‐12C』のクーペとスパイダーを発表済みのマクラーレンオートモーティブ。同社は、「我々の新たな1章がパリで始まる」と説明しており、MP4‐12Cの上に位置するマクラーレン『F1』後継車が、デビューする可能性が高い。
《レスポンス 森脇稔》すべてのトピックスをみる - livedoor トップページ

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トヨタ、WEC3戦目で初のPP/自動車
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F1名ドクター、シド・ワトキンズ死去

F1で長年レースドクターを務めたシド・ワトキンズ博士が84歳で逝去した。F1の安全性を今日の水準まで引き上げた功労者であり、モータースポーツシーンで'教授' と親しまれたワトキンズは、20年以上にわたってメディカルカー乗務のオントラックメディカルチームを率いてきた。彼の応急治療を受けて命を拾ったドライバーは多数だ。

リバプールに生まれ、ここで学校に通ったワトキンズは、ブランズハッチとワトキンズグレンのサーキットドクターを務めた1978年にバーニー・エクレストンと出会い、その後F1の医学委員に推薦された。

ロニー・ピーターソンやジル・ビルヌーブといったドライバーが命を落とした時代に、F1の安全対策を推進し、サーキットの医療施設の水準向上に尽力したのがワトキンズだった。彼の功績は大きく三つ。すべてのサーキットにメディカルセンターを設置させたこと、医師同乗のメディカルカーの導入、そしてメディカルヘリコプターの常時待機のルール化だ。

ディディエ・ピローニ、ネルソン・ピケ、ゲルハルト・ベルガー、ルーベンス・バリチェロ、ミカ・ハッキネン、マーティン・ドネリー、カール・ベンドリンガーといった面々が26年間のワトキンズ在任中に救命された一方で、1994年サンマリノGPでは二日間にローランド・ラッツェンバーガーとアイルトン・セナの死に立ち会うという悲劇も経験している。イモラの惨劇の後、ワトキンズの主導で設置されたFIA安全性専門家諮問委員会が後にFIAモータースポーツ安全研究所に発展した。

2005年に現場から退任したが、その後も安全研究所の所長として安全性問題に影響力を発揮、2011年には名誉職のみを残して第一線から退いた。

セナの伝記映画「音速の彼方へ」に出演したワトキンズは、ラッツェンバーガーの事故直後に、セナに対して引退して一緒に釣りに行こうと誘ったという秘話を語っていた。
《レスポンス 編集部》

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子役のギャラは本人のもの?親が子どもの扶養家族に?子役と親の法的な関係に迫る
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【WEC 第5戦】トヨタTS030が初のポール奪取…アウディR18 e-tronクワトロに1秒差

写真拡大【WEC 第5戦】トヨタTS030が初のポール奪取…アウディR18 e-tronクワトロに1秒差 写真一覧(22件)WEC(世界耐久選手権)の第5戦サンパウロで、トヨタ・レーシングの『TS030 ハイブリッド』が初のポールポジションを獲得した。

フリープラクティスから好調を維持してきたTS030は、予選を迎えるに当たり、セッション終了6分前まで待機する作戦をチョイス。アレックス・ブルツはクリアラップ1週目で最速タイムを記録、さらに2周目には1分22秒363の予選最高タイムをたたき出した。2位のアウディ『R18 Ultra』(ディーゼル)に0.784秒、そしてハイブリッド対決としてルマン以来注目を浴びているアウディ『R18 e-tronクワトロ』に対して0.969秒の差を付けた。

F1の今季最終戦にも名を連ねるブラジルのインテルラゴス・サーキットは、コース序盤・終盤は高速レイアウト、中盤はテクニカルなコーナー区間という構成で、また高低差が大きいことも特徴だ。TS030には「トヨタハイブリッドシステム・レーシング(THS-R)」と呼ばれるハイブリッド機構の一種が搭載されており、スーパーキャパシタがブレーキングでエネルギーを回収し、加速時のパワーを補う役目を持っている。インテルラゴス・サーキットの5か所のブレーキングゾーンでエネルギーを蓄積し、その強烈なパワーを周回後半で発揮。2位以下に大差を付けてのポール獲得となった。

なお、4位はトヨタエンジンを搭載するローラ『B12/60』、5位HPD(Honda Performance Development )の『ARX 03a』(ホンダ)、6位ローラ『B12/60』(トヨタ)と日本メーカーのエンジン搭載車が続く。

決勝は翌15日。現地時間午前8時から20分間のウォームアップが行われ、正午に6時間レースがスタートする。

トヨタドライバーとチーム代表のコメントは以下の通り。

アレックス・ブルツ:
予選は最高だった。午前中の公式練習3回目では、TS030 HYBRIDはかなり神経質な動きだったので、厳しい戦いを予想していたが、公式予選前に理想的なセットアップが見つかった。チームの素晴しい働きで、非常に速いクルマに仕上がった。ハイブリッドシステムは本当に凄い。コーナーを立ち上がる時には、まるで蹴り出されるようだ。明日の決勝レースは6時間の長い戦いとなるが、ポールポジションを獲得出来たことは最高の気分だ。

木下美明 トヨタ・レーシング チーム代表
最高の予選結果を得られた。トヨタ・レーシングの初ポールポジション獲得を支えてくれた全員におめでとうと言いたい。我々にとってわずか3戦目となるレースの予選でライバルに大きなギャップを付けてポールポジションを獲得出来たことは、まさしく最高の偉業だと言える。チームは見事な作戦を執り、アレックス・ブルツは最高の走りをしてくれた。タイミングスクリーンの一番上にトヨタが表示されるのを見ながら、チェッカーフラッグを受けるのは最高に誇れる瞬間だった。しかし、あくまで予選は予選。明日は長い決勝レースが待っている。今日のパフォーマンスを保って表彰台の中央に登れるように集中してレースを戦いたい。
《レスポンス 北島友和》すべてのトピックスをみる - livedoor トップページ

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M.シューマッハ「シンガポールはすごく独特なレース」
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